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マレーシアの先住民族オラン・アスリの歴史と現在の暮らし

多民族で成り立つ国マレーシア。これまでもたびたびご紹介してきた通り、マレーシアは大きく三つの民族から構成されていることは皆さんご存じでしょう。

実はこの三大民族以外にも少数の民族が混在するマレーシア。マレー半島はもちろんのこと、ボルネオ島に位置するサバ州やサラワク州にも多くの先住民族が今もそれぞれの文化や信仰を受け継ぎながら暮らしていて、その彼らも今のマレーシアを構成する国民の一人です。

今回はマレーシア全土に散らばる数ある先住民族の中から、古来よりマレー半島に暮らしていた「オラン・アスリ」のコミュニティに着目。彼らの歴史や現在の暮らしぶりについてご紹介します。

【マレー半島の先住民族オラン・アスリとは】

マレー半島に古くから暮らしていたOrang Asli(オラン・アスリ)。マレー語でOrang(オラン)は「人」、Asli(アスリ)は「もともと」「本来」という意味合いで、直訳すると「もともとの人」という意味です。

彼らの呼び方はマレーシアの歴史のなかで何度かの変化を経て、1966年に「オラン・アスリ」の総称で統一されることになり、現在は公式として使用されています。

現在のマレーシアの人口の大多数を占めるマレー系や中華系、そしてインド系とオラン・アスリのルーツは違うのか?と思われる方もいらっしゃるでしょう。オラン・アスリは現在のマレーシアにつながる15世紀からのマラッカ王国設立への動きが始まる前からマレー半島に定住をしていた人々で、彼らの祖先は約8000~9000年前にアフリカ大陸からマレー半島へ渡来したと言われています。

現在のインドネシアからの人の渡来が始まりマラッカ王国が設立されて以降、人の往来が活発になったマレー半島はインドネシアや中国大陸、アラブ諸国やインドなどさまざまな地域から人が定住し始めます。そんな彼らの信仰や文化が根付き現在のマレーシアにつながっていますが、彼らが定住するはるか昔からオラン・アスリはこのマレー半島で暮らし、彼らが独自に持つ精霊信仰を元に自然を糧とする暮らし方でコミュニティを形成していたのです。

【言葉や暮らしもさまざまなオラン・アスリ】

2022年の国勢調査では約21万人いると発表されているオラン・アスリですが、先述の通りこの「オラン・アスリ」という呼び方は総称です。調査と研究によればオラン・アスリ全体では18の部族が存在し、さらにその18部族はそれぞれ言語や身体的特徴、そして主たる移動エリアやその生業で大きく3つに分類されています。

ここではその18もの各部族の細かな説明は省略をしますが、大きく3つに分類をすると以下の通りです。

<ネグリト族(Negrito)>

エリア:主にペラ州、クランタン州の森林地帯

暮らし:狩猟、香木など交易用産物の採集を行い、広域の移動を常とすることが多い

言語:オーストロアジア語族モン・クメール語系

身体的特徴:縮毛で肌は黒褐

 

<セノイ族(Senoi)>

エリア:主にペラ州とプルリス州、パハン州の中央山地や森林地帯部

暮らし:狩猟や漁業、焼畑農耕も行う

言語:オーストロアジア語族モン・クメール語系

身体的特徴:波状毛で肌は薄めの褐色

その他:オラン・アスリの中で半数以上を占める部族

<ムラユ・アスリ族(Senoi)>

エリア:主にパハン州、スランゴール州、ジョホール州、ヌグリスンビラン州

暮らし:内陸部は焼畑農耕、海岸部は漁業や狩猟

言語:オーストロネシア語族(マレー語と同じ)

身体的特徴:直毛で肌は薄めの褐色、さらに薄めの肌も多い

その他:言語や身体的特徴からマレー系マレーシア人との違いが少ないため、Melayu Asli(ムラユ・アスリ)=「もともとのマレー人」を意味する部族名で呼ばれる

18の部族を大きく3つにまとめられている彼らですが、このような分類はマレーシア政府や研究者によるもので、もちろんオラン・アスリの当事者である彼ら自身にその民族帰属意識はありません。彼らはもともとマレー半島の各地に点在をしてそれぞれの部族ごとでコミュニティを形成していましたが、歴史の経過とともに彼らをより深く知る術として、外側の研究者たちの見方で分類されているのです。

【オラン・アスリの歴史】

オラン・アスリたちは現在のマレーシアを形成するマレーシア人たちがマレー半島に定住をするはるか前からこのマレー半島で暮らしていたことはすでにお伝えした通りですが、そんな彼らの暮らしぶりが分かり始めてからの歴史を簡単にご紹介します。

15世紀のマラッカ王国設立以降、マレー半島の奥深い森や海に面したマングローブに埋もれた沿岸部などに少数民族たちが狩猟や植物採集を主としながら移動を繰り返して暮らしていることが徐々に人々の間に知られ始めていきます。

19世紀にイギリスがマレー半島を統治する頃にはマレー人たちとは異なるその外見や暮らしぶりはイギリス人たちも知ることとなり存在を認識はされるようになったものの、奥深い森などにいる彼らは基本的には定住をせず、季節や狩猟・採集環境次第で移動を繰り返す非常にシンプルな暮らしぶり。そのような事情もあってか接点は薄いままだったことから大きく意識されることはなかったのですが、第二次世界大戦が終結してマレー半島の情勢に変化が訪れた頃から状況が動き始めます。

森林や内陸部で政治とは縁のない暮らしを送っていたオラン・アスリたちですが、終戦後の1945年以降マレー半島で当時の反政府勢力の動きが活発になり始めます。ジャングルに身を隠す者たちに対して政治の事情を知らないオラン・アスリたちが善意から手助けをするように。これに危機感を感じた当時の政府はオラン・アスリたちに対して定住を前提とした集団移住などの策を取り始め、彼らの暮らしへの介入が始まることになりました。

このような事情を経て存在を強く認識されたオラン・アスリに対し、マレーシア政府は1954年にはAkta Orang Asli(オラン・アスリ法)を制定。以降、彼らをマレーシア国家の一員として保護し、他のマレーシア人たちと同じく国民が得られる権利を同等に享受できる施策を継続して行っています。

【オラン・アスリの暮らしと現在】

もともとオラン・アスリたちは定住をせずに森や海で狩猟や採集、農耕を主としながら移動を繰り返して暮らしていましたが、さまざまな事情からその暮らしぶりも変わりつつあります。

マレーシアは国として発展すべく大規模な農業政策やプランテーションの拡大で広大な土地を切り開く政策を長年行っています。その土地にはもちろんオラン・アスリたちが暮らすエリアが含まれるケースもあり、彼らに定住を前提とした移住を促し、定住先や就労先なども保障するなど双方が良い形で開発が行えるスタイルで定住への移行が徐々に進んでいます。

オラン・アスリの伝統的な住居は移動しながら簡単に作ることができるニッパ椰子などを素材とした簡素なものでしたが、定住が進んでいる近年では木材による高床式住宅に暮らす層も増えていますし、一部では国が提供をした集落に並ぶコンクリート素材の家への居住も見られるように。

とは言え、もともと自然と季節の移り変わりに従いながらシンプルに暮らしていた彼らですので定住をしてもその暮らしぶりはとても質素なものですが、なかには定住になじめないケースも。マレーシア政府が用意をした村や住居があっても、一定期間は季節に合わせて旬のものが得られるエリアに移動しながら暮らす人たちも未だなくなりません。

また、定住先があったとしても森や自然の中で稼ぐことができるツアーガイドの仕事などをするために村を一定の期間離れて暮らす人もいるそうです。ジャングルトレッキングなどのツアーガイドやそのサポートを仕事とするオラン・アスリの男性は一定数いて、ジャングルで息をひそめる野生動物を見つけたり、時には吹き矢で獲物を捕らえる姿を披露することもあるそう。まさに暮らしで身につけた本能的な勘が生かされる適性に満ちた仕事なのかもしれません。

【マレーシアの発展に伴うオラン・アスリの住環境の変化】

マレーシア政府はオラン・アスリ法に沿って彼らを定住の暮らしに導くべくさまざまな施策を行っていますが、仮に彼らが移動の暮らしを望んだ場合でも、従来の移動生活が困難になりつつある現実があります。

マレーシアの国の発展に比例するように全土に広がるプランテーションの拡大などで少しずつ森林地帯の伐採は進み、彼らが安心して暮らし続けられる森は減少傾向にあること。また、国主導の高速道路やダム建設などの大規模工事や不動産や工場地帯の開発なども同じくで、オラン・アスリたちもこれまでのライフスタイルを変えることを自ら選択するケースも増えてきています。

開発が行われる地域にオラン・アスリたちが暮らしている場合は立ち退きを依頼するのですが、その際は定住先の土地と住居の用意、そして数年先までの生活費に充当できる金銭の用意はもちろんのこと、十分な教育や医療が受けられる環境など衣食住に関するあらゆる面をサポート。一時的な住まいではなく彼らの定住が実現することを目標として進められます。

そして彼らの仕事もプランテーションなどの農耕作業を始め、工場や建設現場などへの従事が主ではあるものの、クアラルンプールなどの都会への期間労働も一般的になっています。

また、近年では教育水準が上がりつつあることもあり、これまでオラン・アスリたちが就くことはなかったさまざまな分野への進出も増え始めています。以前は移動生活が多いことから就学率の低さが目立ったオラン・アスリたちですが、近年は定住が進むことで地域の学校でしっかりと就学をする層が増えたことは彼らにとっても大きなメリットと言えるでしょう。マレーシア人たちの中には「同級生にオラン・アスリがいる」ということも珍しくはなくなってきていますし、他民族との婚姻で民族がミックスされることも増えてきています。

もともと自然とともに暮らしていた彼らにライフスタイルを大きく変える選択を与えることにもなる、マレーシア政府や関連機関のさまざまな取り組みですが、国の発展とともに避けられない開発などの波も相まって、オラン・アスリたちも双方のメリットになる点を重視して選択をしているようにも見受けられます。このオラン・アスリたちの定住へのサポートを含めた取り組みは現在進行形で進んでいる状況ではあるものの、オラン・アスリ局や関連機関による積極的な広報活動も功を奏してマレーシア国内でのオラン・アスリへの注目度や認知は以前よりも上がっていると言えます。

【マレーシアの先住民族オラン・アスリまとめ】

今回は、ガイドブックなどでもあまり語られることのないマレーシアの先住民族オラン・アスリについてご紹介しました。

かつては森林の奥深くで暮らしていた彼らも、ご紹介の通り近年ではほかのマレーシア人たちと同じように暮らす人たちも増えています。マレーシアの文化や風景に慣れていない人ですとその顔立ちだけで気が付くことは難しいかもしれませんが、町やショッピングモールでは実は隣にオラン・アスリのルーツの方がいることもあるのです。

もしマレーシアを訪れた際はそんなルーツを持つ彼らもマレーシアの国民の一人として暮らしていると意識して過ごしてみることも、新たなマレーシアを知る視点になるのではないでしょうか。

引用元:https://www.jakoa.gov.my/

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